3!2!1!ひらがな~!まっするまっする!
いつかくたびれたスーツを着て煙草をふかしながら昔の輝いていた自分につかるような、糠床から引き出されずに忘れ去られたくたびれたキュウリのようになってしまうのではないか…
そんな暗い気持ちに、多幸感に包まれてふとした瞬間我に返って気が付いてしまうのが自分にとっての「まっする」のようです。
普段といえばプロレスというものは自分にはできないというか、肉体も発想も届きはしないと思っているものなので、どうにも暗い感情なんぞ湧きようもないの。しかしことまっするについては「文化祭」のイメージが強く、自分がやってきた大学祭実行委員の経験と少し被るのか「ずるい」「じぶんもやってみたい」なんと思ったりするのです。
これがまた一息つくとやはりマッスル坂井はすごいんだという気持ちになってくるのです。リングで直接見ていても薄いガラスに阻まれている感覚の通常興行の中で、我々のいるところまで目線を合わせに来てくれるような感じ。痛いものが痛いとわかるというか、自分たちが当事者で、作り上げた舞台が手のひらにあるような感じ。
もしかしたら、笑顔と真顔が平気な顔をして同居するDDTの中にあってまっするこそ自然に心の底から笑って大声を出せる気がしてくるのです。もしもっと現実をしらないころにコレに出会っていたら1も2もなく駆け出せた気もしてきます。
結局のところ、楽しく幸せな気持ちになれるのは本当なのです。こうして娯楽として消費できるものがあふれている中でまっするに触れられていることが最も幸せなことなのだと書いていて実感しているところです。
これがマッスル坂井にだけは見つかりませんように。